小場恒吉の実績
小場は少年のころ既に篆刻にも興味をおぼえ、自分用の印はもちろんのこと年賀状の版画なども当然のごとく彫刻していたと伝えられている。 美校に入学して間もなく、当時の篆刻界の大御所・中井敬所に師事。中井が没してからは、その高弟岡本義邦に師事している。 (佐々木 榮孝:著「紋様学のパイオニア 小場恒吉」より抜粋)
彰仁親王章 仁孝帝養子、伏見宮邦家親王の第八王子
彰仁親王 分家して東伏見宮、のち小松宮と改称。軍事総裁として鳥羽伏見の戦いに従う。参謀総長。元帥。国葬。(1846~1903)
金紫光祿大夫 金印紫綬。南斉の時、この称がある。転じて貴顕の喩。
呉希賢印 中国明朝の人、字汝賢。毛経(詩経)に通ずという。
菅原利爲
春谿女子
子安農園
小田切磐
壬申進士
藤原公美
𤋮通之章
源英武字希文號春緑
作而行之
政貴有恒
天眞心到
春風人隨
香玉女史
家在墨江上
去來自然
東郷平八郎
源頼壽章
小場氏印
眞賽
【以上23点、秋田市立赤れんが郷土館所蔵】
実績